「一様」にメリットはない

同じ時間で同じ空間にいる人間は、仲間とは限らない。

例えば散歩しているときに、道行く人に会ってもただの他人だ。

問題は会社や自治会など、業務的な集まりだ。

人によってはただ単に会っただけで、気が合うと勘違いする。

初めの人間関係の無駄な期待感は、後にすれ違いを生み出す。

時には、あえて冷たいと思わせることが必要だと感じる。

この冷たさは期待感をフラットにし、人を見極めることに繋がる。

人の考え方は、もはや一様ではない。

群れることで利益が上がる。

そんな世の中ではないからだ。

ゲーム

学生のころ家に帰ると、据え置きのゲームはこっそりテレビの部屋に行ってやっていた。

なぜか親はテレビゲームが教育に悪いと信じ込んでいた。だから夕飯を作っている少しの時間と、休日などに限られていた。
特に休日では親が隣の部屋にいたため、「監視下」でのプレイとなった。

高校の時にハマっていたのは、「スパロボα」だ。
理由は前作の「F」とは違い、難易度が下がっていたこと
さらにバンプレのオリジナルキャラが良かったためだ。

熟練度も攻略本を見ながらもれなく上げ、1つのルートを効率よくやるのが好きだった。
「全滅プレイなし」や「期待を1機も壊されずにやる」のがポリシーだった。

今の「スパロボ」はキャラゲー化し過ぎて、好きになれない。
「第二次α」での女性キャラの「乳揺れ」で逆に萎えた。

熱さを語るのが「スパロボ」だと今でも思っている。

気おくれする

自分のことをしっかり紹介できる人がいたとする。

その人はきっと自分のことが好きで、社会的に認知されるからだろう。

筆者は周りが騒いでるものにかかわるのが嫌いだ。アンチメジャーといったところか。
みんなが騒ぐものを嫌う、自然と周りから浮くことになる。

社会人になってからは、アンチメジャーなところが仕事に影響するようになった。
自然な会話ができなくなったせいだ。

一本筋が通った人なら、瞬間的に論破できるだろう。
しかし筆者は会話を返すのが遅いからできない。
次第に会話自体したくなくなり、口を閉じるようになった。

本来話したくない人は、閉じれば安心するだろう。
だが話したい場合は、ストレスになる。
周りが盛り上がっているのに、話せない。

 

メジャーのみを押し付ける文化が嫌いだ。
メジャーだからって付け上がるな。

メジャーなことが理由で、購入数が上がってるだけだ。
マイナーに対しての暴挙だ。

いつかカウンターをかましてやりたい筆者である。

仕事

仕事という仕事がうまくいかなかった。

考えてみると、言われてやるような仕事ばかりだった。

それでも自分に合いそうなものを探し、仕事の面接を受けた。

だが、ことごとく落ちた。
筆記がほぼ満点でも落ちたことがある。
なら筆記を出すな。

一人暮らしで金が底をつきかけたので、避けていた体力系や接客系も視野に入れざるを得なくなった。

すぐ受かるが、案の定すぐ辞める。
辞める、就くのサイクルが短い。

結局何ともなってない。

死ぬことを考えることも多くなった。
どうせ認められない。

後ろを振り返れば、社会人人生はつまらないことばかりだ。

ラクな生き方とは(1)

今、無職の状態だ。

職が無いと仕事のことを考えてしまう。正直仕事は嫌いだ 。サラリーマンしかやったことがないが、人の話に付き合う必要があるし、業務上求められてることが分からない。

それどころか、無駄に人脈に振り回され、自分の存在感のないままに終わる。

ほとんど苦しかった思い出しかない。とりあえず生活するために働いていた。

ラクに生活はできないのだろうか。

結局何にもなってない

僕は将来の役に立つと思って、学生時代から勉強をしてきた。だが、結局なんにもなっていない。

何も信じることできなかった。親も友達も、果てには自分自身もだ。

何も興味がないし、生きてても無駄だとも思える。

死のうとしたときもあるけど、その度胸もないことも知った。

正直休みたい、許してはくれないだろうけど。お金が続かないけど。

でも苦しんでるのに、手を差し伸べない社会も悪いし、自分勝手な人間もどうかと思う。一人ではどうにもならない。

絶望の綱渡りはいつまで続くのか。

多分死ぬ度胸がつくまでだと思う。

表現方法の欠如

皆さんは言いたいことを表現するとき、どうするだろうか?

多いのは実際に話す表現だろう。

人によっては言葉を文字にしたり、図形や絵を用いたり、形をづくることもある。

筆者はどの方法も必要最低限しか使ってこなかった。使う必要がなかったと言ってもいい。

最も使わなくて済んだのは高校受験のときだ。国語の一部の問題を除けば、自分の学んだ知識を吐き出せばよかった。正直単純で楽だった。やった分だけスコアになったし、自信にも繋がった。

実は中学の時でも、表現方法の無さが暗い影を落としていた。美術と技術の存在だ。

美術は絵を使っての表現が求められた。描きたい絵が思い浮かぶのが「普通」なのだろうか?描かなければいけないので無理やり始めるが、表現力も無いため恥をさらす結果になる。

技術は手を動かして、物を作ることを求められた。木の椅子を作ったときは立体的な答えが示されてるのに、作ることができなかった。もどかしかった。はんだ付けのときは付け方が分からず、結果的に基盤を壊し修理に出すハメになった(未だに戻ってきていない)

ただ音楽は、何とかなっていた。当時はソプラノだったが声は大きく出ていたし、地区の発表会で男子で1人だけソプラノで出ていた。成績にも影響がなかった。

そもそも実技教科は、表現方法が分からないと何ともならない。教える側は指導するなら初歩的なテーマ選びから基本的な技法の習得を目指してほしい。もしくは指導できないなら、他事をやらせるようなシステムを用意してほしい。